わが子は、4か月健診で「発育性股関節形成不全(DDH)」と診断されました。
それは突然のことでした。
すぐに「リーメンビューゲル」という器具を装着し、まずは2週間の経過観察。
「約8割の赤ちゃんはこれで整復される」と聞いていたので、どこかで「うちの子もきっと大丈夫」と思っていたんです。
でも、10日ほど経っても整復されず——。
その頃には、私は毎晩DDHについてネットで調べていました。
「もし治らなかったら、次の治療は?」「それでもダメだったら手術?」
出口の見えない不安ばかりが膨らんでいきました。
入院が決まったとき、心の奥に重くたまっていた思い
リーメンビューゲルでは整復されず、次の治療のために入院が決まったとき、正直、心の中にずっと押し込めていた思いが一気に溢れました。
「どうしてもっと早く気づいてあげられなかったんだろう」
1か月健診では、股関節の硬さを指摘され、小児科と整形外科両方を兼ねた病院に通っていました。
そちらでの診断は、「筋肉が硬いだけ、脱臼ではありません」と。
脱臼していないと言われて安心しましたが、念のため月に一度はそちらの病院に通っていました。4か月健診の3週間前に診てもらったときも「良くなってきたね、よく開くようになった!」と笑顔で言われたことが、うれしかったのに。
抱っこの仕方やおむつの当て方について、病院でも助産師さんにも保健師さんにも、誰からも注意されたことはありませんでした。
スリングやスワドルも使っていません。
生まれた病院でも、経過観察の診察(低出生体重児だったので)で何度も股関節を開いてチェックされましたが、何の指摘もなかったんです。
だから、余計に思ってしまったんです。
「何のための診察だったんだろう」
「私の抱っこが悪かったのかな?」
「もっと早く見つけられていれば…」って。
「見つけようがなかった」からこそ、つらかった
どうしても、過去の自分を責めてしまいました。
でも、振り返ってみれば、あの時の自分ができたことは限られていました。
医師に「脱臼じゃない」と言われたら信じてしまうし、「抱っこ上手にできてますよ」と言われれば、それでいいんだと思ってしまいます。
むしろ、自分たちでは見つけようがなかったからつらかった。
誰のせいでもないからこそ、行き場のない気持ちが心の中でぐるぐると回り続けました。
「あなたの抱っこの仕方が悪かった」と言ってもらえた方が、まだ楽だったかもしれない——そんなことさえ思いました。(実際そんなこと言われたら、それはそれで辛いんですけど)
親の理想を押し付けていなかったつもりだったけど…
DDHは、整復された後も1歳までは毎月通院。
その後も年に一度は経過観察。
骨の成長次第では小学校に上がる前に手術になるかもしれない。
さらに、運動制限がかかる可能性もある…。
ここが親としては一番不安な部分でした。
過去は変えられないから前を向いて治療がんばろうと思っても
治療をがんばった先に運動制限があるかもしれないって。。目の前が真っ暗になりました。
リレーに出たり、部活をしたり、自分の学生時代に当たり前にできたことが、思いきりできなくなるかもしれない。
でもそんなことを考えているうちに、ふと思ったんです。
「運動にこだわっているのって、私だけなんじゃないか?」って。
私はずっと運動部出身で、運動してきた人生しか知らなかったから、運動できないこと=青春を謳歌できない、みたいに思い込んでいたのかもしれません。
でも、当たり前だけど運動部じゃなくても楽しい人生はあるし、運動したければ医師と相談しながら、できる範囲で楽しめばいい。
制限があったとしても、それはこの子の未来に広がる選択肢の中の、ほんの一部にすぎない。
勝手に「できない未来」を決めつけて、勝手に落ち込んでいたのは、私自身だったんです。
今、前を向けるようになった理由
「自分の子どもは一人の人間として接したい」
「親の理想を押しつけるようなことはしたくない」
そう思っていたはずなのに、無意識のうちに“こうなってほしい”という理想像を押し付けていた自分に気がつきました。
だからこそ、この経験はきっと、私にとっても意味があったのだと思えるようになりました。
今は、落ち込みすぎずに、今できることを丁寧に、精一杯やろうと決めています。
この子の可能性を、少しでも広げられる親になれるように。
焦らず、比べず、前を向いて——。
同じように悩んでいる親御さんへ
もし今、DDHの診断を受けて、心が苦しくなっている方がいたら。
「自分のせいなんじゃないか」と責めてしまっている方がいたら。
どうか、自分を責めないでください。
あなたは今までも、ちゃんと頑張ってきたはずです。
そして、これからもお子さんと一緒に進んでいけるはずです。
未来はまだまだ広がっています。
今できることを一つずつ、一緒にやっていきましょう。
私も、自分を追い込みすぎないように、「これでいいんだ」と思える言葉を探しながら、なんとか前を向こうとしています。
そんな風に思えるだけでも、きっと一歩前進ですよね。
コメント